私がまだ20代だったころ、人生の先輩たちの行動を見ていて不思議に思ったことがある。それは「オジサンたちは、どうしてみんな蕎麦が好きなんだろう」ということだった。立ち食い蕎麦店はオジサンで溢れているし、蕎麦の食べ歩きが趣味だと言うオジサンもいた。蕎麦打ち教室はオジサンであふれているという記事を読んだことがあるし、脱サラして蕎麦店を開業するオジサンのドキュメンタリーをテレビで観たこともある。私もオジサンになったなら、蕎麦が好きになるだろうか、いやそんなことはないだろう、なんて思っていた。
「意外にも」と言うべきか「やっぱり」と言うべきか、私も歳とともにしっかりと蕎麦が好きになっていた。きちんとしたお蕎麦屋さんで日本酒を飲み、蕎麦前をつまみ、もり蕎麦を手繰ってさっと引き上げる。そんな、実にオジサンくさい一連の行為に、この上ない粋とロマンを感じている。そしてついに足を踏み入れたのが「かんだやぶそば」。蕎麦の最高峰として、押しも押されぬ気品と貫禄を放っている。
江戸の風情を随所に残した、かんだやぶそば。
1880年(明治13年)の創業と言われる、かんだやぶそば。「藪御三家(かんだやぶそば、並木藪蕎麦、池の端藪蕎麦)」の一角を担う店であり、各所にある藪そばの暖簾の総本家と言われている。2014年に新築された現在の店舗は、古民家風の落ち着いた佇まい。手入れの行き届いた中庭が店内から見渡せるなど、ここが都心であることを完全に忘れさせてくれる。てきぱきと無駄のなく動く花番さんたち。ときたま聞こえる女将さんの「せ~いろ~いち~ま~い~」という独特の節回しは、注文を厨房へ通すための通し言葉。老舗の気品、江戸の風情、言葉にすると薄っぺらく感じてしまうけど、そんなことを感じずにはいられない。
お酒と蕎麦前、せいろうそばを手繰って上機嫌。
老舗の風景に圧倒されつつも、席に案内されればやることはひとつ。お酒と蕎麦前をオーダー、すぐさま頼んだ品が同時にやってきて嬉しくも慌ただしく宴がスタート。
お酒は菊正宗の特選、風味がよくやや甘みが感じられる。そしてお酒とともに供されるのが「ねりみそ」。豊かなコクと辛味があり、お酒がクイクイ進んでしまうシロモノ。
お蕎麦屋さんで飲むなら、蕎麦前の定番のひとつ、かまぼこ。新しい発見があるものではないけど、老舗で食べるかまぼこには特別なものを感じてしまうから不思議だ。
かんだやぶそばへ行ったら食べてみたかったのが、この「天たね」。もともと天ぷらそばに入れる具だったものが、お酒のあてとして定着したものらしい。小エビの入ったふんわりとした天たね、間違いのない一品。
お酒をお代わりするタイミングで追加したのは鴨ロース。白髪ネギと一緒に口へと運べば、鴨の上品な香り。本当に、お酒が進んでしまうものばかりだなと心底関心させられる。
そしてお待ちかね、せいろうそばがやってきた。やや緑がかった蕎麦は、見事なまでに細い。江戸の蕎麦職人は、細く長くを競ったというが、そんな伝統をここでも感じることができる。噛みごたえ、香りも見事で、食べ終わるのが寂しいとすら感じた。
酒飲みが最後にたどり着く場所、それが蕎麦屋。
誰が言ったか知らないが、酒飲みが最後にたどり着くのは蕎麦屋だという見解がある。もちろんその領域に達するためには、酒場での経験、そして人生の経験をしっかりと積み重ねる必要があるだろう。今回ちょっと背伸びして、かんだやぶそばで飲んで締めてきたわけだが、これまでになくお酒を飲む時間の豊かさ、そしてこれまでにない充実感を得ることができた。若い頃の私が見た蕎麦好きのオジサンたちはきっとこの豊かな時間を知っていて、人知れずひっそりと、でもしっかりと楽しんでいたのだろう。オジサンになることは恥ずかしいことなんかじゃない。それはきっと、心豊かで楽しいことなのだ。
店名/かんだやぶそば
住所/東京都千代田区神田淡路町2-10
電話/03-3251-0287
営業時間/11:30~20:00
定休日/水曜日※本記事は筆者訪問日(2021年2月)時点の情報をもとに作成しています。
※時節柄、営業時間やメニュー等の内容に変更が生じる可能性があります。
※充分な感染症対策を実施し、適切なご利用をお願いします。