「バズる」は日常の延長線上に 〜あるいは、ゆでたまごへの感謝をこめて〜

ぼんやり想う

SNSへの投稿で、自分の予想をはるかに上回る反響が得られたとき、人は何を思うのだろうか。嬉しさや達成感を感じることは当然としながらも、どこかで「こんなものがバズるのか」と不思議に思うこともあるのではないだろうか。先日、私のゆでたまごに関する投稿がX(旧Twitter)で多くの反響を得たときにも、私の中には「なんで?」が渦巻いた。お酒の話とはちょっと離れるけど、私が抱いたその不思議な思いについて考えてみたので記しておこうと思う。

「茹で時間は7分20秒と決めている」ゆでたまごの投稿に大きな反響が

2025年1月27日に私がXに投稿したものが、770万表示と13万のいいねを獲得した。

私自身、長きにわたってXへの投稿を行ってきたが、ここまでの大きな反響ははじめて。あれよあれとと増え続けるいいねとリポスト、表示回数に、喜びよりも底しれぬ恐怖のようなものを感じた。

投稿にはたまごの茹で時間しか記していなかったため、たまごは常温にしてから茹でるのか、お湯が沸騰してからたまごを入れるのかなどなど、具体的な調理方法を求めるコメントが多かったため、私が実際に行っている具体的な調理工程と火加減について追記した。

その後も反響は伸び続け、数日後には前述した天文学的な反響を獲得するに至った。なんだか自分がとんでもないことをしでかしたかのような、生きた心地のしない数日間だった。

そこへさらに追い打ちをかけるように、かの有名Webメディア「ねとらぼ」さんから連絡をいただき、ありがたいことにこの投稿についての記事をまとめていただいた。そうか、バズるってこういうことなんだなと思い知らされた。

日常を切り取っただけなのに、人に褒められる不思議さ。

さて、もろもろの騒動がようやく収まり日常に平穏を取り戻すと、不思議な感情が私の中に芽生えていることに気づいた。「日常的に作ってるゆでたまごのことを投稿しただけなのに、なんでこんなに反響があったんだろう」。

私は元来のたまご好きで、自分好みのゆでたまごが安定して作れるようにいろいろと試行錯誤していたのは事実なのだが、それはあくまでも自分のためであり、自分にとっては普通のこと。日常のなかの小さなシーンのひとつにすぎない。それを投稿しただけで、たくさんの反響をもらい、たくさんのお褒めの言葉をいただいた。

このけっこうな大きさのギャップがうまく受け止められずにいたのだが、しばらく考えるうちに、合点がいく結論に達することができた。

自分にとっての普通は、他人にとってのエンタメなんだ。

私の生活や暮らし方は私だけのものであり、きっと他の誰とも似ていないのだろう。他人の生活もしかりで、同じ人がふたりといないように、まったく同じ生活を送っている人はどこにもいない。そして自分と違う他人の生活を垣間見ることは、興味の対象であり小さな楽しみとなる。

そう、自分にとっての普通は、他人にとってのエンタメになり得るんだ。

思えばYouTubeで見る山奥の一軒家で暮らす人の生活や、トラックを運転する人の日常、バンドマンの朝ルーティンなど、自分とはまったく違う暮らしを送っている人のライフログは、自分と違うというだけで興味を引かれる優秀なコンテンツとなっている。人は他人の暮らしぶりを見て、自分の暮らしを振り返りながら楽しむ生きものなのだ。

自分にとっての普通を、どんどん披露していくべき。

私の日常としてのゆでたまごが、あれだけの反響を獲得することになった。ということは、私の暮らしのなかには、人の興味を引く要素がまだまだあるのではないかと推測される。そしてこの記事を読んでいただいている方の日常にも、また同じことが言えるだろう。

普段自分が何気なく行っている行為、自分が少しだけこだわっている作法や道具などがあったら、SNSで積極的に発信していくべきだと思う。いつか誰かがそのことを面白がってくれ、自分だけの日常が誰かの役に立つ方法として、誰かを楽しませるエンタメとして、世の中に広がっていくことになるかもしれないから。