ビールは美味しい。これは酒呑みならば、いや酒呑みでなくても、誰もが認める事実だと思うのだが、例え同じ銘柄のビールであっても、その美味しさはさまざまな要因に左右される。
気候、気温、ビールの温度、グラス、呑む場所、呑む時間帯など外的な要因に起因するもの。あるいは疲れや乾き、空腹度合いなどの身体的な要因から、気分の良し悪しといったメンタル的な要因まで。実に多くのファクターがビールの味を左右している。
だから「今までで一番美味しかったビールは、いつ、どこで、どのような状況で呑んだものか」という質問は、酒場での与太話には最適だと私は思っている。それはその人の、お酒にまつわるもっとも大きな成功体験であり、後世に語り継ぐべき輝かしい歴史そのものと言っても過言ではない。
では、この私の歴代ナンバーワンビールとは、一体どのようなものか。それはみなさんの輝かしい話とは一線を画した、あまりに悲惨なものに他ならない。
月曜に出社、気づいたら木曜だった。
かれこれ20年近くも前のことだろうか。以前の記事でも触れているように、当時の私はブラックな業界の、ブラックな企業に所属し、なかなかにブラックな働き方を続けていた。終電で帰れたなら「今日は早いな」という気持ちになれるほど、あまりにも狂った感覚で日々を過ごしていたのだ。そういう時代でもあったし、そのころの経験があるから今がある、と考えることもできる。
とある週の月曜日、先週までの疲れを引きずったまま出社した私は、今週の雲行きはいつも以上に、さらに怪しいことを察知していた。作業しなければならない案件の多さ、締め切りの短さ、締め切り後の修正作業の多さ。どこからどう見ても絶望しかない状況だった。
正直に言うと、そこから数日間の記憶は定かではない。目の前の仕事をこなしながら、デスクには次々と仕事が降り積もる。すべてが急ぎの案件だ。不規則な食事とトイレのために席を立つ以外の時間を、すべて仕事に費やした。昼が夜になり、朝が来てまた昼になった。そんなことを何度か繰り返し、仕事の波が落ち着きを見せたころ、世の中は木曜日の昼になっていた。
月曜日の朝に出社し、帰宅せず睡眠もとらず風呂にも入らずに、木曜日の昼を迎えたのだ。人生でもっとも体調が悪く、人生でもっとも気分の悪い、控えめに言って人生最悪の木曜日だ。
上司に午後は休む旨を伝え「おう、お疲れ」という軽々しい言葉に濃いめの殺意を覚えながら荷物をまとめた。当時、会社から地下鉄で10分ほどの場所に住んでいたのだが、微塵も迷わずタクシーを止める。最寄りのコンビニ前でタクシーを降り、今でも愛してやまないサッポロ黒ラベルの500ml缶を購入、もう何日ぶりかわからない自宅のドアを開けた。
ビールを呑んで寝る、それだけだ。
なんとなく部屋がひんやりしていると感じたのは、実際の部屋の温度によるものかもしれないし、いよいよ私の体調が悪化してきたせいなのかもしれない。私は買ったばかりのサッポロ黒ラベルを冷凍庫に入れ(冷蔵庫ではなく冷凍庫)、風呂場へ向かう。文字通り頭からつま先まで、この数日間の汚れや憑き物をキレイさっぱり洗い流し、ドライヤーで髪をからからに乾かした。洗いたての部屋着に袖を通し、しばしの放心。
終わった。
こんな仕事が明日からも続くのか。
こんな仕事をさせる会社に私は居続けるのか。
これが私の望んだ人生なのか。
もうどうでもいい。
今はなにも考えるまい。
とにかく終わったのだ。
ビールを呑んで寝る。
それだけだ。
そして私は冷凍庫からサッポロ黒ラベルを取り出し、気泡の破裂音とともにそれを喉に流し込んだ。
そう、これなんです。これが私の歴代ナンバーワンビール体験。
アルコールと炭酸があっという間に身体中の毛細血管を駆け巡り、ひとりの部屋で声にならない声を上げたのだった。そして程なくベッドに倒れ込み、深い深い眠りへと堕ちていった。
ビールを楽しみ続けるための気配りを。
この時以上に美味しいビールには、もう出会うことはないんだろうなと思う。命の危険を感じるほどの極限状態、そこからの解放とともに流し込むビール。あんな目に遭わなければ味わえない美味しさであるなら、味わう必要も、味わいたいという気持ちもないかもしれない。
世の中にはいろいろあるけれど、それでもやっぱりビールは美味しい。最高だ。この美味しさをいつまでも楽しむために、心と身体の健康には十分に気を配りたいと思う。