お酒を飲み歩いてばかりの私ではあるが、私のもうひとつの楽しみにカメラを担いで街をさまよい歩く、というものがある。歴史や情緒を感じる建物や風景、その時その場所でしか見られない光と影を求めて、これまでにかなりの距離を歩いてきた。カメラに収めた写真たちのなかには、某カメラメーカーのコンテストで入賞したものもあったり、海外のアートコンペでファイナルにまで残ったものもあった。すべては昔とった杵柄、だけれども。
いま、かつて歩いた場所について思いを巡らせると、ひとつ大きな心残りがあることに気付かされる。それは現代の東京とは思えないほどの歴史と風情と哀愁をまとっていた「今川小路」についてだ。
始まりは昭和25年、最盛期には16件もの店舗が並んだ今川小路。
東京駅と神田駅の間、新幹線や山手線の高架下に存在した飲み屋街、それが今川小路だ。調べてみると今川小路のはじまりは昭和25年ごろ、この場所を流れていた竜閑川が埋め立てられ、露天商らが店舗兼住宅を構えたことによるらしい。女優の浅丘ルリ子さんは、父親がこの場所で麻雀荘を営んでいた関係で子供時代を過ごし、デビュー後は撮影スタッフたちを連れてたびたび訪れていたという。最盛期には16軒もの居酒屋や焼肉店などが軒を連ねていたが、東北・上越新幹線、高崎線、常磐線の東京駅乗り入れに伴う線路の拡張工事などで徐々に転出を余儀なくされ、2017年9月末までにすべての店舗が営業を終了、2018年春までに全店舗が解体され、今川小路はその歴史の幕を閉じた。
訪れるものを惹きつけて話さない、高架下の圧倒的な異空間。
私が偶然この場所に足を踏み入れたのは、2008年ごろ。その日はたまたまフィルムカメラにモノクロフィルムを詰めて、あてもなく歩いていた。オフィスビルが立ち並ぶ神田の街中、高架を潜り抜けて反対側へ出ようとすると、まわりとは明らかに違う空気を感じとった。高架下に所狭しと軒を連ねる、今にも朽ち果てんばかりに年季の入った木造の居酒屋たち。道路にせり出す店看板。2階部分は住居になっているのだろうか、人が暮らしている様子が伺える。高架下の薄暗さや差し込む光の強さも相まって、そこは完全に昭和30年代の空気で満たされていた。フィルムが尽きるまでシャッターを切りまくったことは言うまでもない。
すべてがなくなってしまった今川小路。そして残る大きな後悔。
先日、神田あたりに用事があったので、思いたってかつての今川小路へ足を向けてみた。知っていはいたけれど、改めて現実を目の当たりにすると、やはり特別な感情がこみ上げてくる。その高架下には工事の仮囲いが並ぶのみで、かつての面影は一切なくなっていた。長年ここで人々が酒を酌み交わし、人々が暮らしていた痕跡は、完璧に排除されてしまったのだ。なぜ私は、今川小路の暖簾をくぐらなかったのか。時を刻んだ店の空気を吸い、それを肴に酒を飲まなかったのか。今となっては為す術もない、それでいて強い後悔の念が押し寄せてきた。(写真は2021年現在、かつて今川小路だった場所)
時代は移り変わり、街も風景もまた移り変わる。それに抗うことはできないのなら、せめてその場所で過ごした記憶を、自分の中に刻んでおくべきだろう。そして自分の中でいつまでも変わらない風景として、残していくべきなのだろう。