【上野「翁庵」】歳をとることも悪くない、そう思わせる蕎麦の老舗。

上野

蕎麦屋で酒を飲むことに、強い憧れがある。正確には、蕎麦屋で飲んでいる自分に、そんな大人な行為を行なっている大人な自分に、強い憧れがある。江戸の昔、蕎麦屋は居酒屋として使われていたという。いつくかの蕎麦前で酒を飲み、蕎麦を手繰って締める。軽々しく使いたい言葉ではないが、そんな粋と呼ばれる飲み方を、そろそろ標榜していきたいと思っている。今回伺った上野の老舗・翁庵は、私のような蕎麦の素人をも、暖かく迎えてくれる名店だ。

 

明治32年創業、古さの中に新しさを見る老舗・翁庵


創業から120年以上、さらに現在の店舗は築80年以上という、もはや文化財級の神々しさ、有難さを放つ翁庵。店内の装いも言わずもがな。柱、時計、品書きに至るまで、重ねてきた時間が他の追従を許すものではないことを物語っている。こんな雰囲気なのだから、もうこれだけで、ここでいただくお酒が美味くないわけがない。この店内の空気が、まずは優れたつまみとなっているのだ。ちなみに今回私が訪れた夜の時間帯は、普通に着席後に花番さんへオーダーするシステムだが、昼間の時間帯は入店後すぐに、入口右手のカウンターへ口頭でオーダーするシステムとなっている。年季の入ったレジは今でも現役のようだ。

 

安心感と安定感が両立するメニューたち


翁庵のおきな書を眺める。豊富なお蕎麦のメニューに加えてうどんやご飯ものも取り揃えている。そして酒呑みとして凝視したいのは下段の中央あたりのおつまみメニュー、いわゆる「蕎麦前」だ。こちらは決して豊富な品ぞろえとはいかないが、老舗の人気店の蕎麦前に否が応でも期待は高まっていく。今回はもちろんお酒を楽しみに来たのだけど、勤務先の近くにこのお店があったら、けっこうな頻度で通ってしまうだろうなと想像できる。安心感と安定感が融合したメニューだ。

 

酒も会話もはずむ、じっくり美味い蕎麦前たち


翁庵へ来たら、ビールを飲むという選択肢は私の中にはない。お酒(松竹梅)の常温、これさえあれば他に何もいらないだろう。なんとも形容し難い、味わいのある酒器。そしてこの日はアテとして枝豆が添えられていた。


翁庵の蕎麦前といえば、この油揚げ甘辛煮は外せない。薄く伸された大ぶりの油揚げが2枚、甘い蕎麦汁で煮られたのだろう、ほんのりした甘さと優しさが後を引く。お酒も思わず進んでしまう一品だ。蕎麦前と言えば、定番の板わさも捨てがたい。木の葉を思わせる飾り切りが素敵だ。他にもアテはあるようだけど、私はこの2品をついついオーダーしてしまう。


この日は仕事関係で知り合い、時を経て呑み友達となった男とふたりで来訪。美味いお酒と美味い蕎麦前、そして時を重ねた店内、会話も終始なごやかに。こういう店で呑むのが楽しい年頃だよね、なんていつになくおっさん臭い会話も、なんだか様になってしまう不思議。

 

ネギとかき揚げの旨味、そして蕎麦の喉越しが楽しい、ねぎせいろ


蕎麦屋で長居は粋でないらしい、そんな強迫観念があったのかはわからないけど、お酒と蕎麦前がなくなったところでシメのお蕎麦をオーダー。こちらも翁庵の名物、ねぎせいろだ。つけ汁の中にはたくさんのネギと、イカをメインとしているであろう小さなかき揚げが入っている。双方から染み出した旨味が、つけ汁に独特の味わいをもたらしている。つるつるに茹でられた蕎麦を浸してすすれば、口の中に至福の渦が発生するようだ。会話も忘れ、夢中になってすするおじさん二人。これがやりたかったんだよ。

 

蕎麦屋で呑むことの、王道感と安心感。

蕎麦前でお酒を楽しみ、蕎麦を手繰って締める。この一連の所作は、年齢が上がるとともに魅力的に感じるものなのだろうか。これまで、居酒屋で呑んではラーメン屋で締めるようなことを繰り返してきたけれど、ある程度の年齢になると、趣向を変えて次のステージへ踏み出したくなる。量はなくても質の良いもの、少しは身体を気遣ったものへ。若かった自分への決別には寂しさを感じずにはいられないけど、こんなにも豊かな、新しい楽しみがあるのであれば、歳をとることも悪くない。そんなふうに思わせてくれた翁庵だった。

 

店名/翁庵
住所/東京都台東区東上野3-39-8
電話/03-3831-2660
営業時間/10:00~20:00
定休日/日曜・祝日

※本記事は筆者訪問日(2021年7月)時点の情報をもとに作成しています。
※時節柄、営業時間やメニュー等の内容に変更が生じる可能性があります。
※充分な感染症対策を実施し、適切なご利用をお願いします。
※飲酒は20歳になってから。お酒は楽しく適量で。