言わずと知れた東京を代表する繁華街である上野駅周辺(私は敬愛の念を込めて「酒都」と呼んでいる)。ここに軒を連ねる数々の酒場のなかでも、最高峰と言って過言ではない酒場が「やきとり文楽」なのである。入店待ちの行列、路面にせり出した机と椅子、高架下の長い歴史を感じる店構え、文字通り肩を寄せ合うように酒と串を楽しむ大勢の人々。どれをとっても文楽でしか体験できない光景だろう。いつも混んでいる。きっと何十年も毎日ずっと混んでいる。その力強さと温かさを味わってきた。
継ぎ足しのタレで職人が焼き上げる絶品のやきとり「やきとり文楽」
「やきとり文楽」は、戦後間もない昭和23年(1948年)に創業した老舗の名店。上野駅の近く、数々の酒場が軒を連ねる繁華街の高架下、「大統領本店」や「昇龍」の向かいに佇むこの店は70年以上の歴史を誇り、多くの常連客や観光客に愛されてきた。戦後の混乱が残る中、食を通じて人々に元気と活力を届けたいという思いから始まったのが文楽のルーツと言われている。
文楽の代名詞とも言えるのが、継ぎ足しで受け継がれてきた秘伝のタレ。創業当時からのタレ壺に毎日のように継ぎ足すことで長年の旨味が凝縮されたこのタレは、まさに「文楽の味」を支えている。甘辛さのバランスが絶妙で、焼き上がったやきとりに絡むことで香ばしさが際立ち、しっかりとしたコクの中にほんのりとした甘みが口の中に広がる。
また炭火の焼き台で丁寧に焼かれたやきとりは、外側はパリッと香ばしく焼き上がり、肉の中にはしっとりとしたジューシーさが閉じ込められている。焼き加減の妙は、長年の経験が生み出す職人の勘によるもの。強火で一気に焼き上げることで表面に香ばしい焦げ目をつけつつ、絶妙なタイミングで火を弱め、肉の旨味を逃さず仕上げる技術は、文楽ならではのこだわりと言えるだろう。
憧れの店内へ、そして潔いメニューとの邂逅。
天気の良い休日。かなり以前から文楽の存在を知っていながら、その客足の多さになかなか訪問の踏ん切りがつかなかった私がその重い腰を上げてみることにしたのは、この穏やかな気候のおかげなのかもしれない。どうせ混むのだから、いっそのこと開店時間を狙って訪れてはどうだろう。そうすれば、そこまで長い時間待つこともないのではないか。なんの根拠もないぼんやりとした推測のもとに行動したのだが、果たしてこれが大正解。
土日祝日の開店時間である12時の10分前くらいに文楽の前に到着し、同じく開店待ちの同志たちが並ぶ列の最後尾に接続する。この時点で私の前に並んでいたのは3〜4組ほどだろうか。これなら開店と同時に着座できる。いつか行きたいと思っていた文楽へ、ようやく足を踏み入れることができるのだ。良い年してちょっとワクワクしてしまった私が、同時にちょっとニヤついてしまった私が、確かに存在していた。
ほどなく開店時間となり、ひとり客の私はカウンターへと通された。どうせ呑むのは瓶ビールなのだが、いちおう卓上のメニュー表に目を通しておくことにする。
メニュー表は潔く1枚のみ。おすすめと主食(やきとり)、肴、飲み物と、その構成もいたってシンプル。お店で味わえるものがひと目で一望できるという寸法だ。店の看板であるやきとりを「主食」と表現するあたりに、店の自信というか男気を感じてしまうのは私だけではないはず。
私個人としては、このようなシンプルで機能的なメニュー表こそが望ましいと考える。余談だが、店によっては複数枚のメニュー表が用意されているパターンがある。またメニューはブック形式で、それにプラスして複数枚のサブメニューで構成されていたりもする。店ではなく酒造メーカーが用意した宣伝も兼ねたお酒のメニュー表もあったり。味わえる種類が多いのは誠に結構なことだが、メニューの全体像を把握するまでの時間と労力を鑑みると、もう少しわかりやすくしてくれてもいいのではないかと思ってしまうのだ。
その点において文楽のメニューには非常に好感が持ててしまう。手書き文字も味わい深く、同じやきとりのメニューでもより美味しそうに感じらたりもして。さあ、メニュー表をしげしげと眺めるのはこのくらいにして、さっさと呑みはじめることにしよう。
どれも当たり前に美味しい。名店の実力をまざまざと見せつけられる。
何はともあれ、この記念すべき酒宴のスタートには瓶ビールである。中瓶のビールはアサヒとサッポロから選択することができる。脊髄反射的にサッポロをチョイス。いつもの味がいちばん美味しいということなのだろうか。これからやってくるおつまみたちを、喉を潤しながら待つことにする。
最初に着弾したのは、メニュー表で「断トツ人気」と記載されている牛もつ煮込み。おつゆのさらりとした、すっきりと食べられるタイプの煮込みだ。もつの旨味としょっぱさが絶妙で、ビールがよく進む。
箸休め的に頼んでみたポテトサラダ。具材の主張があまりないしっとりとしたポテサラ、やきとりとビールの合間に大活躍してくれそうな控えめな味わいが、とっても好感度高いのである。
続いてやってきた「主食」たるやきとり。つくね(たれ)とねぎ(塩)を頼んでいた。棒状にまとめられたつくねはほくほくでジューシー。絶妙な甘辛さのたれをまとって至福の美味しさと言っていいだろう。シャキシャキとしたねぎもしっかりとした存在感。やっぱりこのお店は只者じゃない、そう思わせるに充分なクオリティである。
2本目の瓶ビールを呑みながらしばし、最後にやってきたのは「店主のおすすめ」とメニューに記載されているみそにんにくである。実はこのみそにんにくがやって来る直前、私の背後のテーブルに座る女性ふたり組から、不穏な会話が聞こえていたのだった。「ここのみそにんにくはやばいよ。食べた日と次の日は人に会わないほうがいい。めちゃくちゃパンチきいてるから」。え、そんなに?と恐れおののいたのも束の間、噂の一品がめでたく降臨したのであった。
いかにもジューシーな鶏もも肉の上に、たっぷりと盛られたみそにんにく。少量のねぎと唐辛子だろうか、赤い粒子も見て取れる。ひとくち頬張って、背後の女性客の言わんとしていたことが瞬時に理解できた。これはすごい。にんにくの香りがあっという間に口内と鼻腔を駆け巡っていく。唐辛子の辛さも手伝ってビールが瞬時に消えていく。すごい、美味い、圧倒的。これほどまでにインパクトのあるやきとりに、私はこれまで出会ったことがなかった。やはりすごい店だ、文楽。
創業の思いが今でも息づく、力強く温かい名店。
ふと店内に目をやると、客席はもちろんの満席状態。外には待ち客が並んでいた。JRの高架下、狭い机に肩を狭くして詰め込まれた大勢の酔客。おしゃれでも快適でもない老舗店に、これだけの人が絶え間なくやってくる理由はもちろん、この他を寄せ付けない圧倒的なやきとりの味だろう。どこまでもうるさくてガヤガヤしているけど、酔客たちは皆楽しそうに呑み、食べ、語り合っている。「食を通じて人々に元気と活力を」と掲げた文楽の思いは、令和の世にもしっかりと受け継がれていると感じる。うるさいけど、どこまでも美味しい。そして温かい。また近いうちに訪れて、この熱気から元気と活力をもらいたいと願うのであった。
店名/やきとり文楽
住所/東京都台東区上野6-12-1 JR高架下
電話/03-3832-0319
営業時間/月〜金14:00 – 23:00・土日祝12:00 – 22:00
定休日/無休(年末年始と夏季お休み)※本記事は筆者訪問日(2025年2月)時点の情報をもとに作成しています。
※時節柄、営業時間やメニュー等の内容に変更が生じる可能性があります。
※飲酒は20歳になってから。お酒は楽しく適量で。