酒場で隣になった見知らぬ人へ一方的にシンパシーを感じてしまう件

ぼんやり想う

この記事のタイトルに共感していただける人が、はたしてどれほどいるだろうか。あるいはこの感情は、酒場でのひとり呑みを至高の趣味として掲げる私たち特有のものなのかもしれない。

酒場で隣になった人に勝手に親近感を覚え、特に会話もないまま、その人が先に帰る時に勝手に寂しさを覚えてしまう。この、自分でも実態が把握できない感情は一体何なのか、すこし考えてみることにした。

隣の人の手元や所作を見ているうちに、その人がどんどん気になってくる

私は本来、大の人見知りであり、人々が肩を寄せ合って和気あいあいと酒を呑む酒場にあっても、できれば誰にも邪魔されない自分だけの空間を確保して、そこでゆっくり呑みたいという矛盾した思いを常に抱いている。しかしもちろん私のそんな内に秘めたワガママがまかり通ることなどなく、ひとりで呑む私の隣には、同じようにひとりで呑むために来店した人が着席することが多い。

最初は「ああ、人が来ちゃった」などと思うのだが、少し時間が経つと、次第に隣の人がいる状況にも慣れ、いつしかその人がいる状態での心の平安を獲得する。それどころか、その人が何を注文したのか、呑みながらなにをしているかを、視界の片隅で確認するようにさえなるのだ。ビールを呑まずにハイボールからはじめるタイプなのか、この店の名物おつまみを真っ先に注文しているから常連なのかも、文庫本を開いたけど何を読んでいるのかな…。そんなふうに、隣人のことがどんどん気になってきちゃうのである。

その人がいったいどんな人なのか勝手に想像してみる

この段階に来ると私の妄想はどんどん膨れ上がり、隣人の人となりやバックグラウンドについてあれこれと考えはじめてしまうのだ。50代半ばの男性、左手の薬指に指輪がしっかりあるから家族もいるのだろう。奥さんに年頃の娘がふたりかな。娘たちはもうそれぞれの休日を過ごしているだろうから、この人は休日にはこうして昼呑みすることを趣味にしているのかもしれない。あまり外交的な雰囲気はないから、どこかの企業の事務職かな、経理関係かも…。こんな具合で私の隣人に対するシンパシーは加速するのである。

あまりに勝手で一方的な妄想なのだけど、これを口外することはもちろんないし、なんなら妄想していることを顔にすら出すことがないのでお許しいただきたい。ただ酒場でぼーっとお酒を呑むよりも、隣人についての妄想を巡らせることのなんと楽しいことか。この気持ちに共感いただける人も少なくないのではないかと思っている。

その人が帰るときに一方的な寂しさを感じてしまう

そうこうしているうちに、隣人がおもむろに荷物をまとめ、店員さんを呼んでお会計をたのむ。すべてのことを終わらせ、隣人は颯爽と店を後にするのだった。この様子をぼんやりと眺めていた私の心に芽生えたのは、一方的な、そして訳のわからない寂しさだったりするのだ。会話を交わしたわけでもない、ただ酒場で隣り合っただけの人がいなくなったからといって、どうして私がこんな思いをしなければならないのだろう。もちろん隣人に恋心を抱いていたわけでもない。

この不可解な感情をよくよく整理してみると、冒頭で述べた私の人見知りに由来するような気がしている。人見知りが故に、できれば自分だけの空間を確保したい。そこへ隣に人が来たことを残念がったが、いつしかその状況に慣れ、隣人がいることを前提とした環境で、私の自分だけの心地よい空間ができあがった。なのに隣人が先に帰っちゃうものだから、私の空間を構成していた要素が抜け落ち、また私の空間に望まぬ変化が訪れたことに寂しさを覚えたのかもしれない。

自分でもそんなことある?と疑いそうではあるが、きっとこれが不可解な感情の正体なのであろうと思う。

今でも覚えている、酒場でシンパシーを感じてしまった人リスト

折を見てひとり酒場を訪れている私だから、これまで述べたようなシンパシーを感じてしまった隣人たちは他にもいる。顔を覚えているわけでもないし、あの人いまごろどうしてるんだろうと思うこともないのだが、この記事を書きながら思い出すことができたので、思い出として記してみる。

ベテラン芸人を思わせる陽気なファッションお爺

とある老舗酒場で見かけたそのお爺は、白とピンクのスーツに身を包み、おまけに帽子まで同じ色、怪しげな色眼鏡を装着した、まるでステージ上の漫才師のような出で立ちだった。酒を呑むのにその格好?歴史ある酒場で明らかにひとり浮いていたのだが、店のおねえさんに気さくに喋りかけ、呑み方もきれい。この人どんな仕事してるんだろうと思ったが最後、その人のことが気になって気になって仕方がないところまでいってしまった。

母校のラグビーチームを全力で応援するお兄

とある立ち飲み屋で隣り合ったそのお兄は、呑みながら熱心にスマホの画面を見つめていた。盗み見ると映し出されていたのは大学ラグビーの中継。どちらかのチームが点を取るたびに、そのお兄は小さなガッツポーズを決めていた。学生スポーツのファンなのかな、いや母校のチームを応援しているのかな、この人もこの学校のラグビー部出身なのかなと妄想が尽きることはなかった。

さっと呑んでさっと帰っていったクールお姉

とある立ち飲み屋で見かけたそのお姉は、風のように店に入ってきて、生ビール2杯と串焼き2本をあっという間に平らげ、また風のように店を出ていった。酒場で長居しないのが上級の酒呑みであるならば、彼女はまさに腕利きの酒呑みというわけだ。女性に対してこのような言葉を使うのは気が引ける部分もあるが、彼女に「漢」を感じてしまったのは紛れもない事実であった。

酒場の出会いは一期一会、そのひとときを楽しもう。

美味しいお酒とおつまみを楽しむのが酒場の醍醐味であることは間違いないのだが、このように言葉を交わすことがなくとも、まわりの人々とのふれあい(人間観察?)を楽しむことも、醍醐味であると言うことができるだろう。文字通り、酒場での出会いも一期一会。その時、その空間、その人を、これからもゆっくりとじっくりと楽しんでいきたいと思う。