前回の記事で、天然鮮魚にこだわる居酒屋「丸冨水産」を紹介した。そして記事中でも触れているのだが、この丸冨水産を運営している株式会社フーデックスホールディングスは、1990年代初頭から池袋を中心に展開する人気ラーメン店「屯ちん」を運営している企業なのだと知り、実に驚いた。正確には、ラーメン店「屯ちん」がまず開店し、それが大成したことによって事業化、居酒屋業態などに進出したということのようだ。この事実と邂逅は、私にとっては実に感慨深いものとなった。「屯ちん」は私が高校生の頃はじめて足を踏み入れた有名ラーメン店であり、その後もさまざまな状況と心境で味わい続けてきた思い出深い店。その屯ちんから派生した居酒屋「丸冨水産」が、大人になった私をまた夢中にさせてくれたのだ。こんなに嬉しいことはない。この気持ちの昂りが冷めないうちに、屯ちんに対する私の一方的な愛と思い出を記してみようと思う。
高校生だった私に衝撃を与えたラーメン店「屯ちん」
およそ30年前、私は毎朝、池袋駅で乗り換えて学校へと通う高校生であった。入学と同時に加入したゴルフ部をさっさと辞め、毎日のように池袋駅周辺をうろうろして遊んでいた。とは言っても別に悪いことに手を染める勇気も持ち合わせておらず、デパートと書店、レコード店、楽器店、服屋などを巡回するだけの、地味で平凡、大きな野心もなく、やがて訪れるであろう大学受験のための苦難に対して、ただ漠然とした不安を抱えて生きているだけの小さな存在だった。ドラマや音楽など流行のものには目もくれず、自らが認めた洋楽ロックのみを信じてひたすらその世界に没頭してもいた。今思うと、この頃も今も、人間的な気質に大きな変化はない。今の私を作り上げる素養はこの頃すでにできあがっていたんだなと感じることができる。
ある日ぼんやりとテレビを眺めていると、池袋のラーメン店を特集する番組が放送されていた。「池袋ラーメン戦争」などといった、ありがちなで大袈裟なタイトルのプログラムだったように記憶している。そのなかで「超人気店」「行列必至」と紹介されていたのが、他でもない屯ちんだったのだ。それまで有名ラーメン店などに興味もなかった私だが、店の場所も容易にイメージできたことから、直感的に「これは行くしかない」と感じたのだと思う。数日後、やはり池袋を毎日利用するクラスの友達を誘い、浮きだった足取りで件の店へと向かった。授業終わりの土曜日の昼頃だったのだろう、屯ちんの店先には大勢のラーメンファンが長い行列を形成していた。行列の最後尾に着いてから、どのくらいの時間がたったのだろう。店員の気合の入った大声がこだまする店内へ足を踏み入れ、カウンターに座り、テレビで見たあのラーメンが目の前にやってきたのだった。
東京豚骨ラーメンと自ら冠する屯ちんのラーメンは、博多発の豚骨ラーメンとは一線を画し、豚骨スープに醤油のしっかりとした味わいをプラスした独自のもの。そこに背脂の甘みも加わり、幅広い層へアピールする味わいに仕上がっていた。私は夢中でラーメンをすすり、店を出る頃にはすっかり屯ちんの虜となっていた。
高校3年生となり、いよいよ大学受験へ向けた努力が推奨されるなか、私も他のクラスメイトに感化され、池袋にある予備校へと通い始めた。学校終わり、土日や祝日、夏期講習に冬期講習と続き、半年後の自分がどこで何をしているかまったくわからないという極度に不安定な状況のなか、数少ない息抜きと楽しみのひとつが、やはり屯ちんだった。温かいラーメンには、不安定な心を落ち着かせ、癒やしを与える効果があるのかもしれない。勉強に疲れ、周りの友達が成績を上げていくなかで取り残されているような感覚に陥っていた私に、屯ちんの味はとても優しかったように記憶している。
人生の暗黒時代に救済をもたらしたラーメン
大学生時代、人様に誇れる何かを成し遂げることはなかったが、自分の興味の赴くままに行動し、知識と経験を得ながら、人にも恵まれて毎日を気楽に楽しく過ごすことができたと思う。それに反して大学を卒業してからの約5年間は、私の人生における暗黒時代だったと言っていいだろう。
すべての元凶は、学生時代に私が掲げた「ライターになる」という志だ。学生時代のさまざまな経験から、私は文章を書いて生計を立てていくべきだという思いが芽生え、いくつかの養成講座に通うなどの準備も行なった。いちおう人並みに一般企業への就職活動も行ったのだが、やはり志は捨てられず、内定をもらった企業すべてに断りを入れ、新宿にある小さな編集プロダクションでアルバイトとして働くことにした。そこでしばらく働いた後に池袋の小さな広告代理店へ移籍、そしてさらに数年後には銀座の広告制作会社に勤めることとなった。この時代の広告や雑誌の制作現場に、しかも私のような若手のペーペーに、労働基準法に則ったまともな労働環境が用意されるわけもなく、文字通り、昼も夜も深夜も休日も関係なしに働いた。充分な睡眠も健康的な食事もなく、夢も希望もガールフレンドもない。何のために仕事をしているのか、何のために生きているのか、私は完全に人生の迷子となっていたのだと思う。
ただただ疲れ果てた毎日の中で、仕事の合間の深夜にふと思い立ち、いつの間にか歌舞伎町に出店していた屯ちんへ足を向けたことがあった。人生で最も過酷な時期に口にした屯ちんは、学生時代とは違う、とてつもない優しさに満ちていたような気がした。あの頃と同じ店、同じはずの味、でもこんなにも優しいのはなぜなのか。少し泣きそうになったのは事実だし、少し大袈裟なことを言うと私はこの一杯に救われたのではないかとすら思っている。あの屯ちんの包み込むような優しい味わいがあったからこそ、私は妙な気を起こすこともなく、精神を崩壊させることもなく、なんとか困難を乗り越えていくことができたのだと思っている。
偶然のめぐり合わせ、そしてこれからも
時を経て、現在の私というただの酒呑みができあがったわけなのだが、酒呑みの嗜みとしてさまざまな酒場を渡り歩き、少しの情報を頼りに訪れた丸冨水産という酒場で、素敵なお酒と魚に出会った。これは良いお店に巡り会えたと喜んでいたところ、このお店が、かの屯ちんを運営する企業の手によるものだと知ることとなった。このめぐり合わせは何なのだろう、と爽やかな感動が身を包む。はじめはラーメンで、時を経てお酒と魚で、私の人生に救済と潤いを与えてくれた両店には心の底から感謝しているし、これからも心から応援していきたいと思う。食にまつわる記憶はいつまでも色褪せないものだし、自分にとって特別な味は人生の宝物になるんだなぁ、と改めて感じることができた。