よっちゃんイカ、こんなにも日本酒に合う食べ物が駄菓子だなんて。

家で楽しむ

幼い頃、2つ上の兄に連れられて、よく家の近くの弁天池へ、釣りに出かけた。その名の通り、弁天様を祀る祠のようなものがあり、その周りを池が囲っているような、片田舎にはよくある風景。池の水は濃い緑色に濁っていて、おおよそ生き物なんて存在しない場所のようにも思えたが、実際には鯉やら鮒やらアメンボやらが、そこここに見てとれた。だが我ら兄弟の標的はそれらではなく、当時の小学生の憧れ、アメリカザリガニだった。その辺に落ちている、あるいは木から強奪した手頃な長さの枝の先に凧糸を縛りつけ、糸の先端に餌として結わえたのが、よっちゃんイカである。

よっちゃんイカの美味さがザリガニにも理解できるのだろうか、その仕掛けによって、けっこうな数のザリガニを釣り上げたように記憶している。そんな成功体験が災いして、私の中でよっちゃんイカは「とても優秀なザリガニのエサ」として認知されてしまった。実際、よっちゃんイカはザリガニ釣りの時に大活躍したものの、普通にお菓子として味わった記憶は数えるほどしかなかったのだ。

そんな幼少時の歪んだ記憶を抱えたまま、あるいは忘れ去ったまま、私はあっという間にオジサンとよばれる歳になり、日本酒の深遠な世界を覗き込みはじめた。家で飲む日本酒、そのつまみには何が最適か、何が手軽かといろいろ思案していた時、これまた幼少期の遠い記憶から、八代亜紀さんの歌が脳内で再生された。「肴は炙ったイカでいい」と。

確かに、日本酒のアテとして、イカはかなり高いポテンシャルを秘めているだろう。醤油とともに焼かれた時の香ばしい薫り、アルコールによってぼんやりとした脳を活性化させるような力強い歯応え。とても優秀だ。しかし、しかし、晩酌のたびにイカを焼いたりするのはちょっと面倒かもしれない。一品料理を作るほどのエネルギーを使わず、気軽にカジュアルに、かつスピーディーに晩酌をはじめたい。そんな夜の方が圧倒的に多いだろう。

そして私の思考は、ついにあの記憶をたぐり寄せた。「そうだ、よっちゃんイカがあるじゃないか」。

よっちゃんイカがコンビニで気軽に購入できるこの世の中に感謝と賛美を。幼少期以来となる、よっちゃんイカとの対面を果たした。「カットよっちゃん しろ」だ。ひとつ口へ放り込むと、あの爽やかな酸味と程よい歯応え。ああ、そうだ、この味だ。ザリガニのエサとしてしか認識しておらず、口に入れた機会は少なかったはずなのに、ちゃんと懐かしい思いがした。そして日本酒の冷をひと口。うん、充分じゃないか。日本酒のアテとしてしっかりと成立している。これは発見してしまったな、手軽で安価で美味しい、日本酒のアテを。これからは、よっちゃんイカを自宅に常備してやろう。駄菓子屋の店頭に置いてあるみたいな、箱ごと、袋ごと買ってもいいかもしれない。

それにしても、と思う。よっちゃんイカは、いわゆる駄菓子の類いとされている。つまりは主に子どものお菓子として売られているということだと思う。それなのに、この、酒のつまみとしてのポテンシャルの高さは何なのだろう。よっちゃんイカを作り上げた人は、絶対にお酒好きだろうなぁなんて思う。子どものお菓子を製造する振りをして、こっそり自分の晩酌に最適なおつまみを作ったのではないか。そんなことをぼんやりと邪推してしまうのだった。